陽のあたる椅子

(C)1965 東宝
渋沢夏樹は四十六歳で帝都建設の庶務課長である。誠実さで課長の席を温めてはいるものの、社交下手と上役との疎遠で、彼のもとに来るのは日陰のパッとしない椅子ばかりであった。その彼に、建設会社ではもっとも重要なポスト、経理課長の椅子がまわってきた。しかし、これには、経理課員平川の三百四十万にのぼる横領事件死が原因で渋沢の堅物が適任とされたからだ。陽のあたる椅子、それは多忙な毎日であった。しかし、そこには思いも寄らぬ落し穴が──。

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