ノミ・ソング

1944年バヴァリアに生まれたノミは、オペラ歌手として訓練を積み、ダウンタウンのアンダーグラウンド・シーンにやってきた。初めてのライブで、真っ白に厚化粧し、奇抜な服装をしてカウンターテナーでオペラ楽曲を歌う。そのパフォーマンスを、どのように披露しデビューしたかをアン・マグナソンは回想する。そのパフォーマンの噂をききつけたデヴィッド・ボウイが彼にコスチューム・デザインとNBC TV 「サタデー・ナイト・ライヴ」のバック・コーラスを手伝ってくれるように依頼。その番組への出演で、より一般に注目されることとなった。ノミはステージ上でも、オフのときでもそのモノクロームな容貌のままでいた。その結果、この映画でも紹介されているが、ノミの写真を撮っていた写真家はノミのことを「白黒になるように化学的に処理されており、こんな人物には会ったことがない」と記している。インタビューされる人々は率直にノミが時代の寵児だったころのことを回想する。ノミの最愛の叔母とのインタビューは、ドール・ハウスや彼の故郷の断面図など創意に富んだビジュアルを挟んで展開する。1983年夏、39歳の若さで短い人生を閉じた。エイズが原因で、最初に亡くなった有名人の一人としての孤独な死がラストで感動的かつ繊細に描き出される。
公開日
2005年6月25日(土)
監督
アンドリュー・ホーン
脚本
アンドリュー・ホーン
撮影
マーク・ダニエルズ
出演
(ドキュメンタリー) クラウス・ノミ ケニー・シャーフ アン・マグナソン デヴィッド・ボウイ マーティン・シーン
製作年
2003
製作国
原題
THE NOMI SONG
上映時間
96
INTRODUCTION
クラウス・ノミはオペラ歌手としての訓練を積み、1972年にニューヨークに移り住む。そして、ニューヨークのライヴハウスに出演するようになる。奇抜な服装を身にまとい、カウンターテナーでアリアからポップ・ミュージックに至るまで、オリジナル楽曲と風変わりなアレンジでカヴァーした楽曲を披露。アンダーグラウンド・シーンであっという間に注目を集める存在になったのである。1981年フランスのRCAと契約、ファースト・アルバム「オペラ・ロック(Klaus Nomi)」を発表する。翌年1982年にはラスト・アルバムとなってしまう「シンプル・マン(Simple Man)」を発表。このセカンド・アルバムが発表される頃には彼の体はすでにエイズに蝕まれていた。1983年夏、39歳の若さで短い人生を閉じた。本作はノミが出現した70年代、80年代のニューヨークのニューウェーブ・シーン、彼の音楽、彼の死、そして彼の裏切りなど激しく浮き沈みを繰り返した彼の人生を描いている。ノミのアーカイブ映像とインタビュー、そして様々なアーティストやミュージシャンのパフォーマンスで構成。デヴィッド・ボウイ、画家ケニー・シャーフ他クラウス・ノミと仕事をしたり、影響を与えたり、影響を受けたりした人々などが登場する。得体の知れないクラウス・ノミという存在がこの作品であぶり出されている。
CASTING
●アン・マグナソン 女優として、『ヴォルテックス』『ハンガー』『モンド・ニューヨーク』『テキーラ・サンライズ』などに出演。 ●ケニー・シャーフ 79年頃、バスキア、キース・へリングらと知り合い、NYの巨大ディスコ“パラディアム”の内装を手がける。80年代ストリート、ナイトクラブで作品を発表、大いに注目される。 ●ガブリエル・ラ・ファーリ 女優として、70~80年代に4本の作品に出演。 ●クリスチャン・ホフマン 70年代にバンド活動、キンクス、スパークス、ニューヨーク・ドールズなどに楽曲提供する。NWヴォードヴィルに出演し、ノミと出逢い、『トータル・エクリプス』など楽曲を提供。 ●トニー・フレール パフォーマーとして、ジョーイ・アリアスの日本ツアーにもボーカルメンバーとして参加。画家・写真家としても活躍。 ●マン・パリッシュ ヴィレッジ・ピープル、マイケル・ジャクソン、ボーイ・ジョージなどのパフォーマンスをプロデュース。自身も、ソロアルバムをリリース。 ●マイケル・ハルスバンド 78年頃は、バスキア、ウォーホル、ノミなどアーティストの肖像写真を撮る。81年頃、ローリング・ストーンズ“Tattoo You”ツアーに専属写真家として同行。

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