真実のマレーネ・ディートリッヒ

ディートリッヒをめぐる物語は、1920年代のベルリンから始まる。ベルリンはキャバレーやナイトクラブ、劇場を舞台に退廃的でセクシャルな狂宴が夜ごと繰り広げられ、ヨーロッパ文化の中心地であり、一方で、ナチスが急速にその支配力を拡大しつつあり、政治的混乱の渦中にある街でもあった。ディートリッヒは幼い子を抱える既婚の身でありながら、迷うことなく新たな文化の潮流に身を投じた。劇場やキャバレーが生み出した奔放な文化の洗礼を経て、やがてディートリッヒは、舞台や映画への出演を重ねながら女優としてのキャリアを確立していく。そしてある夜、映画監督のジョゼフ・フォン・スタンバーグとの出会いによって、人生最大の転機を迎えることになる。スタンバーグの監督作『嘆きの天使』('30)に主演女優として抜擢され、瞬く間に国民的スターの座に躍り出たのだ。『嘆きの天使』に続いてハリウッド映画『モロッコ』('30)に主演し、一夜にしてトップスターの仲間入りを果たした。その頃、祖国ドイツでは不吉な予兆が漂い始めていた。'33年にナチスが政権を掌握し、市民たちはなすすべもなくその渦に飲み込まれていたのだ。ベルリンに帰郷したディートリッヒはその現実に大きな衝撃を受ける。30年代後半、ゲッぺルス率いるナチスはディートリッヒを再びドイツ映画のスターに押し上げようと画策する。しかし、彼女はこれを拒否してドイツの市民権を放棄。新たにアメリカの市民権を得たディートリッヒは、ナチスによって国家の敵という烙印を押され、彼女の出演作は上映禁止処分となった。第二次世界大戦の戦火が広がるなか、ディートリッヒが築いた映画女優としてのキャリアは陰りを見せ出した。第二次世界大戦の初期、ディートリッヒは各地の米軍キャンプで支援活動を行ったほか、戦時公債の売出しにも尽力し、やがて新たな使命を見出していくのだった。
公開日
2003年11月8日(土)
監督
J・デヴィッド・ライヴァ
脚本
カリン・カーンズ
撮影
アドルフォ・バルトーリ クリスティーン・バーリル ウリ・クーディッケ
音楽
ゲルノット・ローゼンバッハ
出演
(ドキュメンタリー)
声優
ジェイミー・リー・カーティス
製作年
2001
製作国
仏=独=米
原題
MARLENE DIETRICH: HER OWN SONG
上映時間
105
INTRODUCTION
ディートリッヒの孫にあたるディヴィッド・ライヴァは、、長いフィルムハンティングの末、未見のフィルムを多数集め、また、ディートリッヒの人生に登場した人たちの証言を収録して、ここにディートリッヒに関する新しい神話をみごとに誕生させた。それは、人生のどのようなシーンにおいても、ディートリッヒが自分の歌を歌うことのできた女だという神話である。1930年代から40年代にかけて、アメリカ映画界は、スウェーデンのグレタ・ガルボ、ドイツのマレーネ・ディートリッヒに席巻された。ディートリッヒは、女優から歌手、エンタテイナーと軌道を修正しながら、70代でディートリッヒとしてのステージから降りるまで、終始、“夢の女”を演じ続けたのである。長い女優生活で1度も老婆を演じることなく終わった女優、これは奇跡の女優人生だということができるだろう。ディートリッヒの膨大な伝記を書き上げた娘のマリア、ドイツ映画界の盟友ヒルデガート・クネフ、フォルカー・シュレンドルフ、ビリー・ワイルダーら監督たち、歌手ディートリッヒ誕生に奇与した作曲家のバート・バカラックなど21人の証言者たちは、彼女が作られた人形に決してならなかったその根拠を語る。
STORY
ディートリッヒをめぐる物語は、1920年代のベルリンから始まる。ベルリンはキャバレーやナイトクラブ、劇場を舞台に退廃的でセクシャルな狂宴が夜ごと繰り広げられ、ヨーロッパ文化の中心地であり、一方で、ナチスが急速にその支配力を拡大しつつあり、政治的混乱の渦中にある街でもあった。ディートリッヒは幼い子を抱える既婚の身でありながら、迷うことなく新たな文化の潮流に身を投じた。劇場やキャバレーが生み出した奔放な文化の洗礼を経て、やがてディートリッヒは、舞台や映画への出演を重ねながら女優としてのキャリアを確立していく。そしてある夜、映画監督のジョゼフ・フォン・スタンバーグとの出会いによって、人生最大の転機を迎えることになる。スタンバーグの監督作『嘆きの天使』('30)に主演女優として抜擢され、瞬く間に国民的スターの座に躍り出たのだ。『嘆きの天使』に続いてハリウッド映画『モロッコ』('30)に主演し、一夜にしてトップスターの仲間入りを果たした。その頃、祖国ドイツでは不吉な予兆が漂い始めていた。'33年にナチスが政権を掌握し、市民たちはなすすべもなくその渦に飲み込まれていたのだ。ベルリンに帰郷したディートリッヒはその現実に大きな衝撃を受ける。30年代後半、ゲッぺルス率いるナチスはディートリッヒを再びドイツ映画のスターに押し上げようと画策する。しかし、彼女はこれを拒否してドイツの市民権を放棄。新たにアメリカの市民権を得たディートリッヒは、ナチスによって国家の敵という烙印を押され、彼女の出演作は上映禁止処分となった。第二次世界大戦の戦火が広がるなか、ディートリッヒが築いた映画女優としてのキャリアは陰りを見せ出した。第二次世界大戦の初期、ディートリッヒは各地の米軍キャンプで支援活動を行ったほか、戦時公債の売出しにも尽力し、やがて新たな使命を見出していくのだった。
CASTING
<インタビューに登場する人々> [女優・マレーネについて] ●フォルカー・キューン(劇作家、歴史家) ●トーマス・ラングホフ(演出家) ●A.C.ライルズ(パラマウント重役) ●フォルカー・シュレンドルフ (映画監督、UFAプロデューサー) ●マキシミリアン・シェル(俳優、映画監督) ●ニコラス・フォン・スタンバーグ (スタンバーグ監督の息子) ●バート・バカラック(作曲家) [戦争とマレーネについて] ●バック・ドーソン(連合軍広報担当) ●ガイ・スターン教授(退役軍人) ●バーニー・オールドフィールド大佐 ●マックス・ヴォルフ(活動家) ●エリザベス・マッキントッシュ (元OSS諜報部員) ●アルフレート・ヘンス(ドイツ退役軍人) <スタッフ> ●監督・製作/Jディヴィッド・ライヴァ マレーネ・ディートリッヒの孫。ニューヨーク・シティ生まれ。1980年代初頭から、ニューヨークとロサンゼルスでICMなどの大手タレント・エージェンシーに勤務。エリザベス・テイラーやマイケル・ジャクソン、アンソニー・ホプキンスといったクライアントを抱え、敏腕エージェントとして活躍した。 1990年代前半に、リックス/ウベル・マネージメント&プロダクション社の副社長に就任。プロデューサー及び企画開発の責任者として、MGMやワーナー・ブラザースなどの大手スタジオ作品を数多く手がけた。また、1996年以降はインディペンデント作品の製作にも力を入れている。 ●脚本/カリン・ケアンズ ドイツ生まれ。パリ、ニューヨーク、ロサンゼルスで脚本や演技、製作などについて学んだ。その後、経営及び語学教育の会社を設立し、アイルランドやドイツ、フランスにも支社を増やすほどの成功を収めた。1990年には会社の経営権を手放し、映画の製作と脚本の執筆に専念。現在までに4本の脚本を完成させ、そのうちの1本はハリウッドの大手スタジオでの製作が決定した。

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