襤褸の旗

東京の北東約百五十キロ、渡良瀬川上流にある足尾銅山は、幕末、廃坑状態にあったが明治9年、資本家・古河市兵衛に買収されてから10年足らずで生産量日本一の大銅山にのし上った。時に日本は帝国主義の道を歩み始め、そのために強引な生産体制を敷いたため、銅が渡良瀬川にタレ流され、沿岸農村は、凄惨な毒と死の荒野と化した。銅山操業停止を求めて近代日本最初の大きな農民の闘いが広まった。その農民たちの先頭に、栃木県選出代議士の田中正造がいた。明治33年2月13日、請願書をふところに、農民の若き代表・一ノ瀬宗八や多々良治平らを先頭に、農民代表一万二千名が、東京に押し出して行った。しかし、利根川を渡る川俣で待ち受ける武装警官、憲兵の大部隊に苛烈な大弾圧を加えられた。

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