3月9日はオードリーのユニセフ親善大使就任日『オードリー・ヘプバーン』活動への思いを語ったコメント&新場面写真解禁!! さらにオードリーの孫よりコメントが到着!

(C)John Isaac (C)Trinity Mirror / Mirrorpix / Alamy Stock Photo
3月9日(水)

名声に隠された本当の姿を描く、初のドキュメンタリー映画『オードリー ・ヘプバーン』。

3月9日は、オードリーが1989年にユニセフ親善大使に就任した日。その記念すべき日に、本作の新場面写真と、オードリー 自身が活動への想いを語った劇中コメントが解禁された。

1989年3月9日はオードリーが、ユニセフ親善大使就任した日である。以降、彼女は人生をユニセフの活動に捧げ、アフリカ、南米、アジアなど世界十数カ国をめぐり、子どもたち悲惨な状況を訴えるため、自らの名声を惜しみなく使い、ユニセフの広告塔として力を尽くした。オードリーがPRするたびに100万ドル以上の寄付がよせられ、彼女が活動した5年間で団体の規模は倍になったという。1992年の終わりにはアメリカ合衆国における文民への最高勲章である大統領自由勲章を授与された。この大統領自由勲章受勲一カ月後の1993年に、スイスの自宅で癌のために63歳で死去したのだった。

本作では、オードリーがユニセフ親善大使となったきかっけや親善大使となった後に訪れた各国で感じたこと、活動に対する思いについて本人の映像、息子や孫、家族ぐるみの友人などで語られている。その中でもオードリーは、幼少期に第二次世界大戦の経験が今でも残っていると述べ、本作でユニセフの活動についてこう語っている。

「戦争が終わった時、私は重度の栄養失調だった。私の人生は、その頃の記憶で形作られている。あの苦しい時代が教えてくれた一番大切なことは、どんな悲惨な状況でも、人は助け合えるということ、悲惨であればあるほど互いが必要になるの。女優という仕事が私に特別なものをくれたとしたら、この“声”を残してくれたこと。今も私に興味を持つ人がいることを子供たちのために利用できる。
“人道”とは人を幸福にすること。苦しみから救うこと。あきらめることは許されません。
お金と時間をかけて数百万人の子供を救わねばならないのです。」

コロナ禍となった現代、一人一人が自身の生活だけでもままならないことが多い中、他者への献身的な姿、子供達を救いたいという強い信念を人生をかけて成就したオードリーの生き方は、今こそ我々の生きる指針となるのではないだろうか。

さらにオードリーの孫となるエマ・キャサリン・ヘプバーン・ファーラーよりコメントも到着した。
「この映画をご覧くださる日本のオードリーファンのみなさま、私にとってこの映画が持つ意味は、とても言葉では言い尽くせません。
(監督の)ヘレナ・コーンは、二次元的にしか残っていないイメージの中だけの彼女を超えて、本当の「オードリー・ヘプバーン」を知る機会を与えてくれました。
私は実際に彼女に会うことは叶わなかったので、この贈り物をくれたヘレナに心から感謝しています。オードリーの強さ、弱さ、情熱、痛み、愛し愛されたいという願い…、そのすべてに命が吹き込まれました。
この経験をみなさんと共有できることは、かけがえのない喜びです。
あなたとともに。」

東北新社/STAR CAHNNEL MOVIESは本作の公開に際し、オードリーの活動を今これからも支援し続けることを目的に本作品の興行収入の一部をユニセフに寄付する運びとなっている。
【ユニセフ75周年特別映像が公開中】
オードリー・ヘップバーンとユニセフの絆【ユニセフ75周年】 /日本ユニセフ協会
1989年にユニセフ親善大使に就任しました。ユニセフが75周年を迎えた今も、彼女の遺志は生き続けています。
“人生でもっとも素敵で手放してはいけないもの。それは、お互いの存在よ”
オードリー・ヘプバーン ユニセフ親善大使(1989年~1993年)

5月6日(金)TOHOシネマズ シャンテ、Bunkamuraル・シネマほか全国公開

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作品紹介

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